2012年8月17日金曜日

スマイレージについて

2月くらいに書いた原稿。
たしか『チョトマテクダサイ!』が出たばかりの頃。



 2010年。駅に貼られた大きなポスターを目にした時、完成形を見せられた気がした。そこには選抜された少女4人が堂々と立っていた。美しいとしか言えない、高貴な花が四輪あった。スマイレージがメジャーデビューした。
 和田は全く新しいタイプのリーダー像を見せてくれた。福田は最高に魅力的な声を持っていた。前田はすでに誰も真似できない位置にいた。小川は恐ろしいほどの歌唱力を持っていた。天才と言い切って構わない4人が集まったのがスマイレージだった。
 中でも小川は多くの天才がそうであるようにムラがあった。しかしパフォーマンスに影響することはなく、いつも高い歌唱力を保った。小川のムラは良い方向に働き、完成形と思われたグループののびしろとなり、魅力となった。スマイレージはさらに成長していった。
 2011年、突如新メンバーオーディション行われ、5名のサブメンバーが加入した。それから数日後、小川の卒業が発表された。蝉がまだ鳴いている季節だった。
この件は私にとって何よりも衝撃で、自分も今の仕事を辞めようと思ったほどだ。ただこの後追い行為にまったく意味が無いと指摘され、またいつの日か小川が「作家になりたい」と願った時に相談にのれるようにと、そのためだけに留まることにした。可能性などないことは理解していたがそう考えるしかなかった。
 スマイレージはバランスを失った。サブメンバーから病気で1名が離脱。残った4人が正式にメンバーになった。7名で必死にバランスをとろうとする中、今度は前田の卒業が発表された。絶対的なエースを失うことになった。
 ちなみに前田は高いギャグセンスを持っていた。ただ、引き芸であったことと、対応できる人がいなかったために、そのセンスは一般的に認知されなかった。つまり前田の卒業は同時に笑いの部分も失ったことになる。
 それでもスマイレージは倒れることなく立ち続けた。新メンバーが持っていた不安要素はすぐに可能性に変わった。
 跳ねまくる田村は文字通り飛躍し、竹内はこちらが反省してしまうほど純真で、中西はすべてを武器に変えた。勝田は既存のカテゴリに分けてはいけない存在で、新しい立ち位置のアイドルになる逸材だろう。今度は「可能性」がグループのバランスを取り始めた。
 もちろん和田と福田の頑張りがあってのこと。激動の月日が二人の天賦の才を研ぎ澄ました。二人とも成長することを辞めていなかった。
 2012年。あの日見たポスターとは違うスマイレージがそこにいる。風に翻弄され、舞った種子は一箇所に集まり、新しい蕾を持ち始めた。誰の影響も受けずに、誰からも利用されずに、もうすぐ蕾が開くことだろう。
 それは数分後かもしれない。
 我々はそれを見逃すわけにはいかない。

0 件のコメント:

コメントを投稿